私の本ものがたり(水戸関係)



第1回私の本ものがたり


茨城県史=中世編

菜根譚

山村暮鳥の文学




第2回私の本ものがたり


あきかんカンカラカンコン

アサノ課長が知事になれた理由

いばらき

茨城の童話

いばらきの昔話

代表的日本人

天下の副将軍徳川光圀

天狗彷徨〜徳川慶喜と水戸天狗党

はだしで走れ!

マンガで学ぶ茨城の歴史

水戸黄門

水戸下市御用留

水戸の道しるべ

水戸百年

ムツゴロウの大漁旗

わかったさんのマドレーヌ




第3回私の本ものがたり


茨城のむかし話

茨城の昔話

川は生きている

徳川家康

友末洋治伝

ふるさとおもしろ統計学

ふるさとの話

水戸の水道

渡里学区を歩く




第4回私の本ものがたり


茨城の顔

茨城のむかし話

茨城の歴史

地政学者長久保赤水伝

ふるさと川紀行T〜V

水戸の今昔泉町物語

水戸天狗党遺聞




第5回私の本ものがたり


茨城・ふるさとのむかし話




第6回私の本ものがたり


茨城の伝説

茨城のれきし

絵本長久保赤水

消えた風物詩

幕末維新の彦根藩

ふるさと茨城の自然

水戸の梅と弘道館

水戸の心




第7回私の本ものがたり


水戸発 都市再生の実践的研究




第9回私の本ものがたり

 

下斗米将真傳





茨城県史=中世編 茨城県史編集委員会監修
     (第1回)

飯島 正康

 私が標題のことについて感心を持ったのは,@小松寺が実家と同じ集落内にあることA私の祖先が同寺の外護者といわれている常陸大掾平義幹と関連をもっていたと云われていたことによるものであります。

 第二の職場を退き時間の余裕が生じたので,水戸市立西部図書館で資料を検索していたところ「東茨城郡史」の復刻版があり,内容を見たところやや信憑性に欠く点があるように思われたので,県立歴史館資料室で各種資料を検索しているうちに,茨城県史編集委員会監修の「茨城県史」=中世編が発行されているのを知り,早速求めてその内容を見ると,長元元年(一〇二八)平忠常の乱から天正十八年(一五九○)徳川家康の関東入部までの諸事象が懇切丁寧記述されております。

 同書には,小松寺と平重盛伝承として,「平家の滅亡を予知し,自らの往生の早からんを願っていた平清盛の嫡男重盛は治承三年(一一七九)七月四十二歳でこの世を去った。清盛は重盛の夫人に腹心の平貞能をつけて,重盛の遺骨と念持仏とを持たせ,常陸へ下向させた。平氏一族の常陸大掾平義幹は私領を寄進して,一寺を建立した。貞能はその寺に重盛の念持仏を安置し,遺骨を小松寺境内の白雲山頂に葬り,自身も出家してその墓を守り,重盛の夫人も相応院という尼寺をひらいて一族の後生を祈った。」と記述され,また,外護者たる大椽氏の勢力の衰退による寺運の後退,至徳三年(一三八六)大掾頼幹の外護によって名僧宥尊が中興開山したことなども記述されております。これらの伝承の裏付けは容易なものではありませんが,研究する価値は十分あるものと考えられます。



菜根譚 藤井 宗哲
     (第1回)

大内 憲明

 日ごろから中央図書館や西部図書館を利用させて頂き読書を楽しんでおります。

 この稿を書いている本日(11月6日)の茨城新聞に県立桜ノ牧高校長である倉持了氏の著者発行の談話が紹介されております。その中に同氏の持論である「素晴らしい本との出会いは人を変える」とありますが,まさにその意味を痛感しております。

 そこで「あなたが選んだ一冊」ですが,最近読んだ本「菜根譚」をご紹介いたします。 「人はよく菜根を咬み得ば,すなわち百事なす−宋の王信民の言葉」(菜根をよく咬みしめるように一日を積み重ねていけば道は自然に開け必ずや成就する)

 このような意味で書名が付けられ,中国の明朝来期,万暦の頃の人,洪自誠の原作と伝えられております。

 目次の中に第一章「長たる心とは」と題して @長たる人条件,A真の高潔とはB大事業とはCリーダーの心得D大成する人とはE選ばれたるものの役割

 第二章「今を生きる」と題して @聞きわけの耳をもつ A人は後の半生で評価せよ B名横綱 双葉山のこと C学問とは D肉親とは

 第三章「天地の教え」と題して @和やむ心 A人と生まれて B夢中の夢 C形と影 D清閑

 第四章「悟りの道」と題して @朝のうた A真に二つはなし B幸福とは C心の置きようで D安心立命とは E真の風流

 以上各項目名は抜粋とさせて頂きました。

 人間はいくつになっても,その歳は生まれて初めて体験する年齢であり20歳には20歳の,50歳には50歳の,80歳には80歳の初心があってしかるべきと言われております。

 この本を読まれた方は,ページをめくるごとにきっとその人が今までの生きて来られた過去のひとコマ,ひとコマを顧みることができ,これからの人生を歩むにあたり貴重な感性を培い新たな感動に魅せられることと思います。

 50歳を迎えた私もこの「菜根譚」を今後半生の良き道しるべにしていきたいと思っております。



山村暮鳥の文学 堀江 信男
     (第1回)

上野 三郎

 茨城にゆかりのある詩人・山村暮鳥を知ったのは,中学生の時だった。

 学校がくれた図書貸出カードに,自分の読書記録が残ることが楽しくてこの頃から私の乱読は始まった。図書室の窓から空を眺めては,暮鳥の『雲』の詩を小さな声でそらんじたことを私は今,思いだす。

 おおい雲よ

 ゆうゆうと

 馬鹿にのんきそうぢゃないか

 この五月,筑波書林から刊行された『山村暮鳥の文学』(堀江信男著)は,だからほんとうに嬉しい出版だった。

 生まれは群馬県でありながら,暮鳥は水戸市にあって他界した。その縁か暮鳥文学を愛好する人は茨城に多く,彼の記念館をつくりたいと願う人もいる。著者の堀江氏は,「雲と一体化することによって,・・・自己を解放して行きたいという想い」と,暮鳥の詩の心を語る。私はこの本を携えて,大洗にある暮鳥の詩碑の前に立ちたいという思いにかられている。



あきかんカンカラカンコン 渋谷 愛子
     (第2回)

常磐小 6年 天野 直子

 私は,リサイクルなどによく参加しています。それは,水戸市がきれいになって住む人が気持ちよくなれば,事故などもへるかもしれないし,ほかの市町村の人たちもきれいにしようとなるかもしれないと思っているからです。

 でも私は,そういっても本はあまり好きではありません。

 母が貸りてきたので読んだら,私でもとてもおもしろくて,読むのが楽しかったです。

 それが「空カンカンカラカンコン」です。学校で,空カンを回収をして,いろいろな問題が出てきて,とても大変なんだけど,最後ではうまくいくという物語です。

 これ以外にも,いろいろおこっていき,とても楽しい本です。

 それで私は,学校をはじめ,水戸市,県ときれになっていけばいいなと思いました。

 市民全員が,積極的に活動すればかんたんだと思います。

 でもそれに参加しない人が多ければ,とても大変になってしまいます。でも毎日少しずつ行っていけば,いつかかならずきれいになると思います。

 その第一歩となるように,みんなできれいにしようと立ちあがり,よびかけをしたり,自分でして,回りの人に手伝ってもらっていけば,だいじょうぶだと言えるかもしれません。

 これで歴史の人物になれたら夢のまた夢です。

 そうなれたら,私はとてもすごく働き,あちらこちらで,リサイクルをしに行くでしょう。

 この考えをもつ人は,いると思います。

 なので,これからがんばってやっていきたいと思いました。



アサノ課長が知事になれた理由 菊地昭典
     (第2回)

蓮田 茂

 「今度の選挙戦は,自分にとっては,自分が最も誇りにしていた故郷の名誉が傷つけられた。そのことに我慢ができないことに怒りが込み上げていた・・・」

 自分の故郷に誇りを持ちたいのはだれでも同じだろうと思う。先日,宮城県知事選があり,現浅野知事が政党の公認を受けずに再選された。投票率は50%を超えていた。

 『アサノ課長が知事になれた理由』は四年前この浅野知事が誕生するまでの選挙戦がかかれた書である。

 四年前,仙台市長,宮城県知事と続けてゼネコン汚職によって逮捕された。知事の出直し選挙は,幾人かの候補者が浮かんだり消えたりしながら,結局は副知事が出馬して,そのまますんなり知事に納まりそうな雰囲気であった。汚職で逮捕された知事の女房役が出馬して当選しそうだという状況の中,県民は選挙にも行きたくないという気分であった。

 こんな中,冒頭にも引用した気持ちのアサノ課長が,公示の五日前に立候補を決断した。もうそれからは,とんでもない忙しさ,悪戦苦闘。なにしろ高校の同級生達が集まり応援するという,選挙の素人集団が中心の選挙戦である。しかし,この一・八会(いっぱちかい)という同期生達の団結・友情には羨ましくなる。その結果が大逆転の当選。で,今日に至る,というわけである。

 さて,茨城県もちょうど同じ時期にゼネコン汚職で知事・町長・建設大臣などが逮捕された。本文の文脈でいえば,「故郷の誇りが傷つけられた」わけである。ところが,私の記憶だと,前回の選挙よりも今回の再選が決まった選挙でも印象に残っていない。特に今回の選挙の投票率は三一%だった。三連休の中日の投票日だったといってもこれでは情けないと思う。自分の故郷を自分で傷つけているようなものだと。



いばらき いばらき県広報課
     (第2回)

千波小 5年 相沢 一斗

 ぼくは,水戸市の本を読みました。まず,水戸の人口は246,448人で,面積は176Kuぐらいだそうです。

あと,文化施設は美術館,博物館,歴史館,偕楽園,弘道館,植物公園などほかにもいろいろあります。

 最後に,大串貝塚ふれあい公園では高さ15mの巨大ダイダラボウ像があり,その左手が展望台になっています。

 ぼくは,これを読んでいろいろなことがわかりました。水戸もいろいろなところがあるんだなあと思いました。 



茨城の童話
     (第2回)

浜田小 1年 大竹 まさゆき

 ぼくは,テレビのにほんむかしばなしがすきです。ぼくのすんでいるいばらきけんのはなしは,ないのかなあとおもっていたら,「いばらきのどうわ」の本をみつけました。むずかしいかんじもあるので,おかあさんといっしょによみました。ことばはいばらきけんのことばでかいてあります。でも,ぼくは,おじいちゃんやおばあちゃんがいつでもはなしていることばなので,よくわかりました。

 つくばしのおばけいしのおばけのはなしやかすみがうらにすむかっぱのはなしがおもしろかったです。



茨城の昔話 藤田 稔
     (第2回)

千波小 5年 鈴木 良幸

 ぼくは,ふく島県いわき市にすんでいました。

 その時のぼくはようち園じでしたが,なにかしらのようじでこのいばらき県の水戸にきました。

 でも,ぼくは水戸のことはなにもしらないのです。水戸の歴史も昔のこともしらないのでした。

 そして,つきひがたつと,水戸にもなれてきましたが,まだ水戸のことがわかんないので,本を一さつかってもらいました。その本はいばらきの昔話と言う物語です。

 その物語は,七つにわけられていて水戸やいばらきの昔のことがかいてありました。今では,水戸のこともわかりました。



茨城の昔話 藤田 稔
     (第2回)

千波小 3年 海東 洋輔

 ぼくは,自分のすんでいる,いばらきけんのことを,あまりよくしりませんでした。お寺の名前や川の名前もしりませんでした。

 お父さんと,出かけたときに,車の中で,いろいろな話しをしてくれました。ふしぎな話しだったり,かわいそうな話だったりしました。

 家へ帰ってから,お兄ちゃんに,その話しをしたら,「いい本があるよ。」といってだしてくれた本が,「いばらきの昔話」です。

 いろんなちいきの話がのっています。

 時間のあるときによんでいます。一つの話が終わると,そこへいってみたいことがあります。

 ぼくがすんでいるいばらきにもいろいろな話があると思いました。



代表的日本人 内村鑑三
     (第2回)

匿名

T 職場の同僚が,高校時代の経験を次のように語った。久野勝弥先生は,日本史の授業で,よく脱線しては幕末の話をしてくれた。幕末のおもしろさを話した後で,水戸には幕末のことを考える材料がこんなにも沢山あるのだと付け加えるのが常だった。そうした話を通して,歴史そのものがわかるようになった気がした。

 U その幕末を考えるチャンスが到来した。徳川慶喜「最後の将軍」のNHK大河ドラマ登場である。幕末は私たちにとってどんな時代だったのか。変化する時代の中で,郷土の先輩達は,どんな役割をはたしたのか。はたして,テレビドラマの通りだったのか。毎週,思いを巡らしながら楽しむことができる。

 V 藤沢周平は,藩という視点でものを見ながら時代小説を書いたという。司馬遼太郎は,時代が大きく変化するときに個人が果たした役割に注目したという。司馬の「最後の将軍」と,藤沢の「漆の実のみのる国」を対比しながら読んだ。

 W 内村鑑三の「代表的日本人」は,一九〇八年の作品である。ここに書かれた五人のうち,四人は江戸時代の人である。一六〇八年生まれの中江藤樹,一七八七年生まれの二宮尊徳,前記の上杉鷹山,慶喜と殆ど同期に活躍し若くして死んだ西郷隆盛,これらの人たちが最初は藩ないし藩以前の村を舞台にものを考え活躍し,より大きな世界に飛躍していった。”藩”を視点に読んでみたら新鮮な気がした。

 さらに,この本は,日本人の内村鑑三が英語で著したものを,鈴木範久が翻訳したものである。訳者は「キリスト教国の人々から『異教徒』と呼ばれている日本人の中に,内村は,キリスト教徒よりも,むしろ優っている人物を見出し」と書いているが(解説)それは,この代表的日本人達が”藩”という視点をはっきり意識していたからに他ならないという気がする。



天下の副将軍徳川光圀 鈴木 俊平
     (第2回)

千波小 6年 北井 文規

 ぼくは,夏休み,徳川光圀について調べようと,図書館に行くと,ちょうど,この本がありました。「天下の副将軍徳川光圀」という伝記です。

 この本は,光圀が生まれてから,死ぬまでが,くわしくわかりやすく書いてありました。光圀は,本当は,生まれてくるはずではない命だったと知り,びっくりしました。また,光圀は,何度も名前がかわりました。三木之次の家で育てられた時は,長丸,頼房に,光圀(長丸)が生きていることが知れてからは,千代松,元服して,徳川光国,そして数え年五十六才で,国を圀に改めたそうです。光圀は,気品にみち,知恵にめぐまれているときもあれば,いきなり暴れだしたり,学問にとりつかれたりして,性格がいろいろ変わるのがおもしろいです。「大日本史」や笠原水道を作った,徳川光圀が,水戸徳川家の藩主だというのは,とてもすごいことです。徳川光圀は,水戸黄門といわれますが,黄門というのは,中納言のことで,唐では,黄門といわれるためです。水戸の藩主は,ほとんどが中納言ですが,徳川光圀だけが,水戸黄門とよばれるのは,水戸で生まれ,水戸で亡くなったからです。



天狗彷徨〜徳川慶喜と水戸天狗党 鈴木 俊平
     (第2回)

第四中 湯原 佳宏

 僕がすすめる本は,鈴木俊平著の「天狗彷徨〜徳川慶喜と水戸天狗党」という本で,筑波山で挙兵した天狗党が,京にいる慶喜を頼って旅をする話だ。

 藤田東湖の子藤田小四郎が,仲間や郡費を集め出発し,長州を目指した。しかし,その途中,別の藩と戦い,仲間が死んだり,脱走したり,また長州へ逃亡するつもりだったのを京都行きに変更したり(慶喜が長州を監視したため)と,天狗党の旅は本当に大変なものだった。

 しかし,中には,天狗党と同じ思いを抱く藩もあり,そのような藩は幕府の命にそむき,穏便に通らせたり,食事をさせてくれたりと優しく接してくれたりするところもあった。

 だが慶喜は,天狗党を賊徒とし,討とうとした。それも慶喜の天狗党を思いやる気持ちだったのだろうが結局,捕まった後の天狗党は,ひどい生活をさせられた。

 まず,足に足枷をつけられ,一戸五間と七・八間の部屋(一間は六尺,尺は三十センチ)に五十人ずつ入れられ,それぞれに見張り番がついた。

 次に,一日の食事は,朝と昼とそれぞれ握り飯一個とぬるま湯のみだった。

 最後には,天狗党参加者のほとんどは死罪となり,その中には三歳の子供もいた。また,斬罪となったものの首を,妻に抱かせたりと,幕府は残虐だった。

 結局慶喜は,天狗党を助けようとしたことが,逆に悲しき最期へと導いてしまった。と,天狗党の思いや悲しき結末が書かれたこの本。来年からは,NHKの大河ドラマで徳川慶喜が放送される。天狗党が京都にいる慶喜に直訴するために千名からの行軍をする苦労は大変なことだったと思う。この本を読んで,少しでも当時の背景が分かったことが勉強だった。

 機会がありましたら,ぜひ読んでみて下さい。



はだしで走れ! 灰谷 健次郎
     (第2回)

常磐小 6年 長須賀 麻由

 わたしは,自然がとても好きです。自然の中にいると,心がおちつく感じでとてもすがすがしい気持ちになります。だけど,自然とは,めったにふれ合うことができません。なぜなら,水戸市は,とても都会だからです。とくにわたしが住んでいる地区は,田や,畑,森林が少なく,市街地です。

 そんな私が読んだ本は,「はだしで走れ!」です。この本には,都会から,田舎に引っこしたら,通学も大変だし,そのほかにも,不自由なこともたくさんあったのですが,わたしは,その本の中ででてきた家族がとてもうらやましくなりました。いつか,大人になったら,わたしは,アナウンサーになりたいけれど,自然の中で暮らすのも,とてもいいことだと思っています。




マンガで学ぶ茨城の歴史
     (第2回)

第五中 守屋 孝

 僕は,この夏休み,ある本を買いました。それは「マンガで学ぶ茨城の歴史」全五巻です。そういえば,学校の授業では,日本と世界の歴史を勉強しますが,郷土の歴史の勉強はあまりしないと思います。そこでもう少し郷土のことについて知りたいと思いこの本を買いました。この本はマンガで郷土の歴史を知る,という新しい観点から読めます。しかもマンガなので,楽しく自然に郷土の歴史を知ることができます。

 しかし,気になるところがひとつあります。それは,値段です。一冊一千五百円とちょっと高いのです。ですからつまり五冊全部そろえるためには七千五百円必要なのです。ですから地道に一冊ずつ買うのがいいと思います。内容がなかなかあるので,一冊を読むとけっこう郷土の歴史をしることができると思います。

 注意・この本は,けっこう大きい本屋に行かないと売ってません。

 さて,それでは,一巻から五巻までを紹介させていただきます。

 まず一巻ですが,一巻は縄文時代から,平安時代までで,大串貝塚のことや,茨城の古墳・風土記のこと等,全部で九章あります。

 次に二巻ですが,内容は,豪族佐竹氏や源頼朝・結城氏・親鸞等,鎌倉時代から江戸初期までの九章です。

 三巻は,水戸藩成立のことや笠原水道,間宮林蔵等,江戸初期から後期にかけての九章です。

 四巻は,天狗党の乱や斉昭公,桜田門外の変等江戸後期から,明治初期にかけての九章です。

 最後の五巻は,太平洋戦争や,加波山事件,筑波研究学園都市,東海原発等明治初期から現代にかけての九章です。

 歴史が嫌いな人も,おもしろく読めると思うので是非よんで下さい。



水戸黄門
     (第2回)

第四中 小林 笑理

 皆様もよくしっている「水戸黄門」の本を読んでみました。どうして,「水戸黄門」の本にしたのかは,「水戸黄門」は皆様も知っているように,テレビで放送されていました。そのテレビを見ていて,もっとたくさん「水戸黄門」について調べたいなぁという興味を持ちはじめました。

 次の日,どうしても「水戸黄門」の本がほしく,本屋さんへ行って,私ののぞみどうり,本は買えました。テレビの好きな人は,絶対,「水戸黄門」の本を読みたくなります。私は,ぜひこの本を読んだ方がいいとおもいます。水戸の歴史なども,この本にはよく書いてありますし,その他のこともくわしく書いてありました。この本を読んでいるうちに,何だかわからないけど,私って水戸のことをよくしっているんだなぁという気持ちになる本です。本の中には,テレビでわからないことも,この本を見ただけで,もうばっちりわかると思います。今は,もうテレビ放送していないので,歴史もの,時代ものが好きな人はもちろんあまり好きじゃない人も,楽しく読める本だと思います。しかも,楽しいのはもちろん,この本を読んでいると,いろんな気持ちになります。

 この本を読むことで,楽しいと思ったり,悲しいと思ったり,本当にたくさんの感情を持つと思います。

 この本は,水戸黄門がどこに住んでいたとか,名前,旅をしたところなどがとてもよく書いてあったり,もりだくさんな内容で一冊ぎっしりかいてあります。いつも本を買っただけで読まないのがいつもの私,でもこの本は最後まで熱中して読めました。

 いつも本をめんどくさくて読まない人も,この本を買って,一冊読み終わった時には,あなたは本の大好きな人になっていると思います。この本を読んだことで,歴史の本など読まなかった私も,今では,歴史ものの本をたくさん読むようになりました。

 ぜひ皆様一度でいいから「水戸黄門」読んでみませんか。何かきかいがありましたらぜひ読んで下さい。



水戸下市御用留 茨城大学付属図書館
     (第2回)

橋本

 私は下市に生まれ育ち昭和三十年頃迄住んで居りました。戦前の下市本町通りは土蔵作りのお店が各町に何軒かあり番頭さんや小僧さんの立ち働く姿が店先に見られた。一年を通してよく市が立ちなかなか賑ったものですが,支那事変・第二事大戦へと移行するにしたがって物資の統制等によって次第に町は衰退し,戦災を因て灰塵と化したかつての町並みは再びみることは出来ない。下市の江戸時代の歴史を知る凡ては郷土史家前田香径さんの労作(江戸時代の水戸を語る)以外は皆無にひとしい。今回,平成三年五月の新聞紙上にて下町町年寄りの史科(下市御用留)が茨城大学より刊行された事を知り,早速市立図書館にて閲覧の機会をえて以来第一冊より第七冊迄拝読させて頂きました。下町町年寄りの七軒町在住佐藤五衛門家(最初は一町目・七軒町の名主のち町年寄に昇格)江戸時代中期の延宝五年(一六七七年から天保十二年一八四一年)迄の一六〇年間に亘る水戸藩の法令・お達し・お触れ等を数代にわたり書き写した記録は郷土にとって当時の庶民生活を知る上で貴重な資料と思います。町年寄りは代世襲で,上町(南町中町)よりの田町越え大商人により占められた様である。名主も田町越え又は町の資産家(地主)がなっており,組頭は地所持職人等も加わっていた様である。町人とは屋敷地所持を云(他は・店借・・抱え)と呼ばれ階級的意識が窺える。町年寄は公役(くやく)が免除の特権が与えられる。公役は道路清掃修理お堀浚い土手の草刈り藩主帰国及び上府の際の人足・傳馬・お達し等の配布役等が義務付けられている。なを農民が年貢を納めると同様に指銭(家の間口によって異なる)間口銭とも云われる。町内毎に名主がまとめて納める様だ,間口調べが記載されている。又,治安は連帯責任の上に成り立っている様である。江戸時代の下町の暮らしを偲ぶ最良の史科と思いました。



水戸の道しるべ 名越 時正
     (第2回)

浜田小 四年 斉藤 郁枝

 わたしは,水戸に住んで九年になります。しかし,水戸のことばはあまりよく知りませんでした。

 今年の夏休みには,お父さんとお母さんといっしょにいばらき県内の神社をいろいろと見てまわってきました。そこには,いろいろと神社のことや歴史のことが書かれていました。たとえば吉田神社は,ひたち第三の宮しず神社のつぎに歴史とかかくしきがあることを知りました。

 わたしは,水戸にいろいろな歴史的な建物や場所があることにおどろき,またきょうみを持ちました。そこでお父さんに,水戸のことについて書かれている本がないかと聞きました。するとお父さんは,「水戸の道しるべ」という本を見せてくれました。中味を見たらちょっとむずかしかったので,お父さんといっしょに読むことにしました。

 この本では水戸という地名は水に囲まれた地形によるもので南は桜川と千波湖,北はなか川にはさまれているため水門からへんかしたもの,と書いてありました。それからびぜんぼりについて,いなびぜんのかみただつぐが千波湖の水をひいて下市やつねずみ地区などの用水と千波湖から洪水を防ぐために新たに川を掘ったものです。江戸時代のはじめのころでした。こんなにわたしたちの身近なところに,たくさんの歴史的ないさんがあり,そのことをちょっとむずかしいけどしょうかいしているのが「水戸の道しるべ」です。わたしはこの本を見ながら,これからもまだ見ていない,弘道館やはちまん宮,おはつきいちょうも見に行こうと思っています。



水戸百年 望月 安雄
     (第2回)

千波小 5年 三塚 恵嗣

 この本は,ぼくが三年生の時に,読んだ本です。昔のことがいろいろ書いてあります。史せきのこと町なみ,公共建造物,交通のことなどがのっています。その中で,ぼくが一番読んだところ,交通のことをしょうかいします。

 この,水戸百年には水戸の交通のことが,くわしく書いてあります。例えば,明治二十九年ころの水戸駅の写真や昭和初めごろの水戸駅ホーム,水戸で初めての乗合自動車会社の写真など,記念の写真がいっぱいあります。この水戸百年は,昔のことがよく書いてあるので,とても資料の中でやくだった本です。ぼくは,これからもこの本を,使いたいです。



水戸百年 望月 安雄
     (第2回)

第五中 奈良部 仁美

 私は,「水戸百年」を紹介したいと思います。「水戸百年」は,平成元年につくられた水戸ができてからの百年間を写真や文章で紹介されています。

 この本は,現在の水戸市と大正や明治のころの水戸市,両方の写真がのっているので,今と,昔でどれだけ発展したのかがとてもよくわかります。昔の県庁やいろいろな地域の小学校,高校。あと一番おどろいたことは南町や泉町に路めん電車が走っていたことです。今では,バスを使っていますが,路めん電車に乗ってみたいと思いました。でも,どうしてなくなってしまったのでしょうか。とても不思議です。

 あと,最後のころに,幕末のときの水戸藩のことやそのころ活やくした人,水戸市の誕生のこと,「水戸」の由来などほかにもたくさんのことが当時の写真なども入り,文章でもわかりやすく説明をされています。

 そのほかには,年表(明治22年〜昭和64年まで)は水戸市の出来事と,国内や世界での出来事が同時にわかるようになっています。あと,初代からの市長の名前の顔写真がいっしょにでています。

 私は昔の水戸市のことはぜんぜん知らなかったし,調べてみようともしませんでした。でも,この「水戸百年」を祖父が貸してくれたので,昔の水戸市のことや町の様子などがとてもわかりやすくなっていたので,「昔の水戸は,こういうふうな所だったのか」とおどろきました。

 この本は水戸市を知りたいとき,とても良い本だと思いました。



ムツゴロウの大漁旗 畑 正憲
     (第2回)

匿名

 作家であり,生物学者でもあるムツゴロウこと畑正憲氏は,学生時代から研究者として無脊椎動物から脊椎動物に至るまで,数々の実験と観察を繰り返し,作家活動へと入っていった。そして,その集大成を北海道の自然スペースに求め,移り住むことになるのであるが,北海道に渡る直前に,魚釣りを通して訪れたところが水戸。涸沼川である。

 涸沼川は,河口から上流6〜7Kmに「涸沼」という汽水性の大きな沼がある。河口で那珂川という水量の豊富な大きな川と一緒になるため,水量の少ない涸沼川は,潮の満ち干に大きく左右され,満ち潮の時は,スズキやクロダイ,ニシンなど海の魚が沼まで入り込み,フナやコイなどの淡水の魚と共に生息するのである。新種のトンボとしてはおそらく日本で最後の発見であろうと言われている「ヒヌマイトトンボ」は,ここで発見された。

 ここの釣りは,小さなハゼから1メートルほどになる大きなスズキを釣るために,独自の釣り竿を生んだ。「涸沼竿」と呼ばれるものである。竹製で,穂先が柔らかく,胴が強く,小さなあたりが良くとれ,大きな魚をもあげられることに特徴がある。

 この川に,ずいぶん入れ込んだ文豪がいる。幸田露伴である。ずいぶん通い詰め,涸沼竿も自分で作ったそうである。

 その幸田露伴の作品に「幻談」という作品がある。江戸時代の武家と船頭が,1本の竹製の釣り竿をめぐるやりとりが主な内容。この幻談が,今までの釣り文学では,最高であり,越えるものはないと言っているのが,釣り好きで知られる作家・井伏鱒二と開口健である。

 その幻談を書いた幸田露伴が,こよなく愛した涸沼川。この涸沼川を題材にしたものが,ムツゴロウがこの川で,本州での最後の釣りをすることに,作家としての意味を見いだしたかどうかは,定かではないが,私は関連づけて考えている。

 涸沼川の船頭とムツゴロウのやり取りには,幻談が見られる。船上での対話のおもしろさが感じられ,身分の違いこそ見られないが,魚の釣り方や船頭との会話には,お互いの心の奥を探るやり取りがある。

 船上で,たった二人の人間が,船頭と客という立場で,魚という目的のために,いろいろな工夫や思いを巡らせる。水戸に住む釣りファンの方,一読を。



わかったさんのマドレーヌ 寺村 輝夫
     (第2回)

千波小 3年 田村 綾香

 わたしは,この本

 「わかったさんのマドレーヌ」を読んで,海ぞく船の女親分は,わたしと同じだなあ,と思いました。

 だって,大へんなことがあったら,すぐ,だれか助けをよぶんだもの。

 でも,「わかったさんのマドレーヌ」の女親分は,すごいなあと思いました。はじめてなのに,マドレーヌが作れるんだもの。水戸は,そんな海ぞく船いるのかなあ。きっと,大昔は,たくさんいたと思います。

 今の水戸は,とっても平和なんだなあ,と思いました。

 わたしは,海ぞくの女親分は,ほんとうはやさしいのに,なんで親分なんかになったんだろう,と思いました。

 でも,わたしも,親分みたいなので,これからは,やさしい心をもつようにしたいなあ,と思いました。

 これからも,わたしたちの水戸は,とっても平和な町でいてほしいと思います。



茨城のむかし話 永岡 通之
     (第3回)

吉田小 5年 桜井 常順

 「ぶったたきと半ごろし」という題に,全体から目をつけました。とくに,

 「ばさまや,ぶったたきすべえか。」

 という文を読んで,少しおどろきました。

 ぶったたきするって,人のことを強くたたくことかと思いました。

 「それより,半ごろしのほうがよかっぺ。」

 と,ばあさんが言ったのです。ぶったたきより,半ごろしのほうがいいっていったときは,この二人は何を考えているのかと思いました。

 だから,その話を聞いた旅人は,にげようとしたということですが,ころんでしまい,音をたてたそうです。そこで,二人が出てきて,二人は何がなんだか分からなかったそうです。半ごろしとか言ってそれはないと思いました。

 しかし,半ごろしとぶったたきは,ほう言だったのです。これには僕もお手上げでした。

 ほかにも,楽しい場面がいくつかある楽しい本です。ぜひ読んで下さい。



茨城の昔話 藤田 稔
     (第3回)

河和田小 4年 笹沼 晴信

 ぼくの入っている,ボーイスカウトでは,毎年クリスマス会にげきの発表をします。

 今年はいばらきの民話のお話をすることになりました。ぼくはいばらきに民話はあるのかなと思いました。お母さんと市立図書館へ行ってみました。すると「いばらきのむかし話」という本がありました。本の中には,いばらき県内にはたくさんの民話がありました。

 ぼくのおばさんのいるうりづら町のしず神社には「四ひきのきつね」のお話がありました。四ひきのきつねたちはそれぞれに大活やくをしました。やがてそれぞれの地でまつられました。

 ぼくは,民話で昔のことがよく分かると思いました。

 クリスマス会のげきでは「牛になった小僧」のお話をすることになりました。牛久沼の名前のゆらいの話です。ぼくはおしょうさん役になって,がんばりたいと思います。



川は生きている 富山 和子
     (第3回)

新荘小 6年 青木 美香

 いま私の回りには,那珂川があります。私たちは,飲み水としている。それは,大切なもの。そうじゃなくても,川は,緑を育ててくれたりしている。

 今水の問題などがある。でもそれは,私たち人間がおこしている。

 この本は,私に川の大切さをおしえてくれた。人間,それだけではなくいま地球に住んでいるあらゆる生き物に,生きるのに大切な役割をしていることをおしえてくれた。



徳川家康 後藤 長男
     (第3回)

新荘小 6年 冨永 高弘

 ぼくは,徳川家康の本をよんでいくつか知りました。家康は,慶喜のごせんぞ様なのです。家康は子どものころ松平千代といって五才のころおだに人質にされ,いちどもどって今川に人質にされがまん強い人間になったのです。

 こんなことをしったのは,れきしのほんのおかげです。みなさんもれきしの本をよんでれきしいろいろしってください。



友末洋治伝 友末洋治氏事績顕彰会
     (第3回)

川上 清

 本書は最後の官選二年,最初の公選三期十二年,計十四年を本県知事であった友末洋治氏が,傘寿を迎えた記念に出版されたもので五四三ページに及ぶ大冊である。

 第一編の自叙は氏が口述されたものを三男の忠徳氏(茨城新聞社常務取締役編集局長兼論説委員長,当時報道部副部長)が記述され,第二編実績を福地誠氏(元いはらき新聞県政担当記者)を中心に忠徳氏,大曽根克彦氏(月刊みと編集者,元サンケイ新聞記者)が分離執筆した。第三編寄稿は四八名が思い出等を記した。豊富な写真もあって発刊後十七年を経た今日でも,端々しく色褪せていないことを感じさせる。

 氏が茨城県知事に就任されたのは,昭和二十年八月十九日であったから,終戦日の四日後である。大正十五年以来内務官僚として,警察部門の多くの都道県や本省に勤務した後に本県知事に任命された。空襲に遭ったばかりの水戸市着任後,官公選計十四年の知事任務はまさに戦後の茨城県の歴史そのものであった。

 氏の働きは県職員は勿論,知事会会長安井東京都知事を始めとする知事諸公を味方にしただけでなく,行政手腕は高く政府への説得力は筋論から通し下がるところなかった。戦後の地方行政遂行のための主張を通してきた能吏型であった。

 戦後の復興事業,米軍政部との関係,新地方制度への取組,供米,農地改革,風水害復旧,町村合併,地方財政確立,全国知事会,道路行政,原研誘致等の施策には全力で当たった経緯が詳しい。平和茨城から福祉茨城へ,当時既に福祉を高く掲げていたことは,その他の実績が物語るように先見の明があり,的確な洞察力と強い実行力,カリスマ的指導力をもって実現してきたものである。「友末知事で茨城は救われた」との寄稿の多くが語っている。茨城の戦後の歴史を知るに最適の書である。




ふるさとおもしろ統計学 茨城県企画部統計課編集
     (第3回)

川上 清

 県統計課で希望者に配布を行っており,茨城新聞に隔週金曜日に連載されたものを47項目について編集発行されたものです。郷土茨城の姿を統計を用いて紹介したもので,主として全国との比較で見ており,その中には日本一であるものも見られ,なる程と思うとともに,興味深いとかんじます。

 大項目として,自然環境,人口,世帯,経済,健康,家計,労働,住居,環境,教育,文化,スポーツ,安全,その他の10に分類され,幅広く採用されています。

 茨城県が日本一といえる項目に一住宅当たりの敷地面積,鹿島灘で捕れるはまぐり類,納豆の一世帯当たりの年間購入額が明記されています。変わったところでは所定外労働時間が四年続けて全国一位とか,珍しいところでは都道府県庁所在地の家計調査で水戸市の年間チョコレート購入額が平均の一.五倍もの高さで一位です。二位のものに,県内道路の実延長距離があり,県内隅々まで道路が張り巡らせている結果でありながら,交通事故の発生を増やしており,痛しかゆしの関係にあります。物価の優等生鶏卵生産は二位,三位の農業粗生産額は平成十二年に二位を奪回すべく施策されています。

 よく県民性を語る時,どうしても自県を卑下していうことがありますが,本書を見ると自県を正当に評価しながら,自信を以って伝えることが出来ると思います。そのような気になる面白い統計本です。これからも継続されそうですから,もっと面白い項目が目を奪うことになるかと楽しみです。



ふるさとの話 さいとう てるお
     (第3回)

河和田小 4年 土岐 彩香 

 わたしは,友だちと,としょ館に行ったとき「ふるさと」という本を見つけました。その本だなの列を見ると,ふるさとの本がたくさんならべてありました。戦争のときの本や兵隊の本やいろいろありました。一番わたしは,「ふるさとの話」という本が楽しそうだったので,その本を借りました。としょ館で読んでみると,昔のことがくわしくかいてありました。家がいまみたいにれんがではなく古い木でできていたり,ガスストーブなんてなくてまきで火をつけて,あっためていたり,いろいろたいへんなことだらけだと書いてありました。十五ページぐらいになると戦争のことがかいてありました。戦争のときはほしいも,豆,かぼちゃだけしか,食べ物は,ありませんでした。ほしいもとは,ごはんをほしたお米のことです。戦争のときからくらべると今の人はしあわせだなあと思いました。

 わたしは,昔にもどれたら,いまの食べ物や,ストーブや,いろんな物をあげたいです。



水戸の水道 水戸市水道部
     (第3回)

吉田小 5年 黒川 愛衣

 大昔の人々は,水をさがし,川のほとりや自然のわき水がある所に集まって生活していました。そして,次の人々は井戸をほり,井戸水を使うようになったけれど,人や家がふえてくると水が汚れたり,かれたり伝染病などが発生して,使用できなくなってしまいました。市では水道を作って,いつでも安全な水が使えるようにしました。わたしは,生まれた時から水道があったので,かんたんに水を使っていたけれど,昔の人々は大変だった事がわかりました。

 水戸の水道の水は,ほとんど那珂川から取っています。使う水の量はふえるばかりですが,利用できる川の水はかぎりがあります。わたし達一人一人が,くらしの中で水を大事に使う事,いつでもどこでも水を大事にし,そして,上手に工夫して使う事が大切だと言う事がよくわかりました。わたしも工夫して,水を汚さないように,そしていつまでもおいしい水が飲めるよう努力したいと思います。



渡里学区を歩く 小林 宏次
     (第3回)

水戸五中 2年 小園井 里美

 書店では売っていませんが,この本は,私が小学校六年のときに担任だった先生が,書いてくださったものです。

 この「渡里学区を歩く」は,私の住んでいる町の史跡などのことが書かれています。私は,この本を見ながら史跡などを見て歩きました。

 歩く道には,史跡や神社などがありとても興味のわく本だからです。なにげなく見ていた小さい石碑や石仏にも謂れがあることを知って勉強になります。

 小林先生は現在渡里小学校の教諭をしています。この本は自費出版された本です。

 社会科の教師として地域の歴史などについて調べることは,あたりまえのこととして,これからも地域に踏み込んで地域の理解を深めていきたいと思う,と書かれた言葉に私はとても,感動しました。



茨城の顔 室伏 勇
     (第4回)

染野 千尋

 昭和44年5月 茨城新聞社発行のこの本に出会ったのは25年くらい前になる。茨城生まれ,茨城育ちのわたしが,福島県平市(現いわき市)で約10年暮らした後,水戸にもどって数年たってからのことであった。

 茨城人は他県人とは違った気骨を持ち,その骨っぽさが時には世流に反することとなり,後進性へと結びついてしまっているとはよく言われる茨城県人評である。そんな気風のみなぎる茨城でも,時代を先取りした起業家や,やせ百姓の中から食材保存法を考え出した発明家,優れた文人・芸術家などが多数活躍し,数々の足跡をのこしていることをこの本で知らされた。

 著者の前茨城新聞社社長室伏 勇氏が,30代の気力充溢の時期に執筆した力作である。最後の将軍徳川慶喜から始めて,明治以降の茨城の人脈を多彩に紹介している。その数73人,情熱,勇気,識見をもって時代の荒波に挑み,のりきっていった先人たちをこれほど多く仰ぐことが出来ることで茨城人であることに誇りを抱き,先人たちへの感謝の念が高まるばかりである。

 目次をはじめて見たときは,初見の名の多いことで,自分の無見識を知らされたのを思い出す。それだけに読み進むうちに文中へ引き込まれ,時の流れを忘れて閉館まで文字を追っていた。何ページかは転記さえしてくりかえし読んだ。580ページの文中に流れる室伏流リズムは,読むものを大きく包んで,確かな力で物語りの中へと誘い眼前で対話が展開しているのかとさえ思うことがしばしばだった。郷土茨城へ寄せる心の発露なのか。時には天空へととびあがるかとまがうばかりの筆致で文人たちの業績をたたえ,ときには無名の一女性を掘り起こして数々の足跡を史実にならって紹介している。

 茨城の郷土出版物はけして多くない。文教の目指す姿はかわっていくとしても,文字からもらう「宝」は不変である。本に没我する悦びはかけがえのない人生をより深く,満ち足りたものにしてくれる最上のものだと信じている。



茨城のむかし話 茨城民俗学会編
     (第4回)

吉沢小 3年 高桑 綾乃

 私の読んだむかし話は,動物むかしむかし,ことのいわれむかしむかし,とんちとわらいのむかしむかし,しあわせむかしむかし,ふしぎなむかしむかし,の五つのしゅるいの話があります。おもしろい話は,ダイダラ坊の話でした。今でもダイダラ坊のことがわかる所があります。そこは,つねづみの,「大串貝塚ふれあい公園」です。ダイダラ坊がつかったかご,ダイダラ坊が食べた貝などがあります。池は足の形でたてふだには,こう書いてありました。「この池はダイダラ坊が足あとをつけた場所で,水がわいてきて池になった。」と書いてありました。けれども,本にはかいてありません。本を読んで大串貝塚ふれあい公園に行ったら二つのダイダラのでんせつが見つかると思います。



茨城のむかし話 茨城民俗学会編
     (第4回)

吉沢小 3年 小暮 麻利菜

 私の読んだ「茨城のむかし話」は,動物むかしむかし,ことのいわれむかしむかし,とんちとわらいのむかしむかし,しあわせむかしむかし,ふしぎなむかしむかしの五つの話がかかれています。

 「ノミにさされて死んだ子」は,最後に遊んでいる時,上から落ちてきたノミが頭にささって死んでしまうという,かわいそうな話です。



茨城の歴史 長谷川 伸二
     (第4回)

千波小 5年 相原 美沙

 私は,水戸にひっこししてきたので,あまり水戸市のことについては知りません。そんなとき,本だなでこの「茨城の歴史」という本が目にはいりました。

 その本を手にとってもくじを開いたらこんな言葉が出てきました。

 「水戸市の誕生」や,「水戸藩政の確立」など他にもたくさんの地いきの歴史が書いてありました。

 みていると本物を見ているようでわくわくして今では,時間があるときは,たのしくよんでいます。



地政学者長久保赤水伝 長久保 片雲
     (第4回)

川上 清

 朝日新聞社創立120周年記念事業として企画された伊能ウォークに関わることから,長久保赤水を知り,にわか勉強の手助けとしたのが本書であった。

 赤水は伊能忠敬よりも50年近くも早く日本地図を作った。(改正日本興地路程全図)晩年には水戸藩6代目藩主治保公(文公)の侍講侍読を勤め,89才まで生きた。高萩市には生家,墓地晩年の住宅が残されており,調査のために飛び込んだのが「経緯線の入った日本地図に赤水誕生地」碑のあるお宅だった。偶然に会えたのが,著者の長久保片雲氏で最初からお話が聞け本書を入手できた。

 表紙文字がいかめしく,457ページの大冊。普通は取っ付きにくい本のはずが読み始めてみると面白く興味が尽きない。記述が丁寧で,著者の性格かユーモアがあり,中には方言も入り,所々に世相批判が加わった。古文は原文,読み,解釈と三種豊富に記載された。文体が語り言葉調で,すぐに脱線し横道に逸れた。だが,これが背景描写に適切で,水戸藩プラス日本の歴史の中に長久保赤水が生き生きと表現された。水戸藩については少し外からみているところが水戸本と違った。21年前の刊行ながら,世相批判は古さを感じさせず現代の政治,思想を辛く風刺し,展望は21世紀に及んだ。

 赤水は亨保2年(1717)の生まれ。赤水9才で母親,11才で父親を失うが,継母が偉い人で,「天の与えた何と恵み豊かな組み合わせだったことだろう」と著者は語る地図作りのきっかけはお役に立ちたいだった。61才で水戸公に仕え,75才で致仕(退官)したが,引き続き地理誌編に従事し,家族の呼びかけにも応えず,漸く81才で江戸より帰郷する。85才にて没。赤水は百姓の子であった。百姓の過酷な重労働を嫌という程知っていたことが生涯信条の支えとなり,学問が生きた。



ふるさと川紀行T〜V 建設省常陸工事事務所
     (第4回)

中里 誠志郎

 私の住んでいる地区の小学校では,毎年11月ごろからのサケの卵を孵化させ,稚魚を飼育して,3月ごろに学校の教室からも眺めることの出来る那珂川へ放流するという,体験学習を行っている。授業参観で保護者も見ることが出来るし,放流を見る機会もある。学校の隣接した川の動物であるサケを飼育しながら,命の神秘さや大切さを知り,放流することによってサケの生態を始め,身近な那珂川そのものを感じ取ることが出来るこの体験学習は,とてもすばらしいことだと思っている。那珂川のサケといえば,サケの遡上する太平洋側の川の南限だとか,江戸時代から朝廷や幕府に献上するサケとしても有名である。普通はこの程度の知識であるが,図書館で手のひらに乗る程度で,厚さも5ミリ程度のこの3冊の本に出会った。

 はじめの2冊は,「見聞録」らしく,川に関わりのある民俗・文化を紹介している。地域に住む人や関わりのある人のコメントもあり,源流部から河口部まで,興味深く書かれている。その中で,一番の発見は日本ではサケの人口孵化に成功し,初めて放流作業を行ったのが水戸の青柳であるという。これは明治10年のことである。その後,那珂川で孵化した稚魚が関東地方で放流されたそうである。日本の国のサケ漁の原点が水戸にあったのである。

 知らなかったのは,私だけかもしれないが,このシリーズの3に当たる,「那珂川にすむ魚たち」では,平成5年度,建設省の河川水辺の国勢調査があり,その結果,那珂川に生息する魚は,何と105種類もいることが紹介されている。那珂川は,汽水性なので,満潮時に海水がかなり上流部まで上がってくるのは知っていたが,スケトウダラ,タイ,ヒラメ,クサフグ,シイラなどの感覚的にはまるで海の魚が確認されているのは驚きだ。ヒヌマイトトンボを発見したりして,トンボの研究が知られている市内の元校長先生である廣瀬誠さんによると,大野近辺ではウミガメも確認されている。那珂川は,大変おもしろい川なのである。

 那珂川は,大河であり,何年かおきに大きな氾濫を起こす暴れ川でもある為,堤防の築堤が進められると共に,こどもたちには,当たり前のことではあるが「危険だから近寄るな」「子供だけで釣りをしてはいけない」と指導したりしているうちに,少しずつ水戸市民から嫌われて,そして離れた存在になりつつある。しかし,原始・古代の昔から,この那珂川を中心に文化が生まれ,城下町が育まれ,そして,今も水戸市民はこの水で生活しているのである。私は,ふるさとの川・那珂川をそして那珂川水系をいろいろな角度で見詰め直したとき,本来の都市の在り方が見えてくるのではないかと思う。これらの本は,そんなことを考えながら,堤防や河原を散策する時にもってこいの本である。



水戸の今昔泉町物語 望月 安雄
     (第4回)

五軒小 4年 戸祭 弘美

 わたしは,おばあちゃんのすんでいる,泉町のことをよくしりませんでした。泉町の今と昔どうかわったのかあまりわかりませんでした。

 ときどきおかあさんや,おばあちゃんとかに,近くのしゅうへんにあるお店を,

「かわったよ。かわらないよ。」

と,おしえてくれるのでした。

 けどわたしは,泉町のことをもっとしりたいのでした。

 するとお兄ちゃんが,

「そういう本ならあるよ。」と,言ってかしてくれたのが,

「泉町物語」です。

 わたしは,その本を読んでから,泉町の今昔がわかるようになりました。



水戸天狗党遺聞 金沢 春友
     (第4回)

矢野倉 隆

 平成十一年の正月は夜行列車に揺られながら,長崎で迎えました。私は,諫早駅から島原鉄道に乗り換えて原城跡を散策していました。新年を迎え,大気は澄み渡り,光の粒子が頬に痛いほどぶつかってきます。島原湾を隔てて天草諸島の島並みが,すぐに手に届く近さに有るような錯覚を起こさせます。この地は島原の乱で,三萬五千人余の人々が夫々の理想に向かって命を懸けたのです。が,会釈して去ろうとした瞬間,私はある人物を思い出さなければいけない脅迫観念に襲われたのです。私は水戸より壱千伍百Kmも離れた島原の地で,水戸天狗党の田中愿蔵の名を思い出したのです。弱冠二十一歳で福島県塙町の久慈川畔で処刑された,早すぎた思想家田中愿蔵に急に興味が湧きました。

 水戸へ帰ると早速,福島県塙町駅の図書館に向かいました。親切な図書館員は金沢春友文庫を快く拝見させてくれました。そこで初めて,世に謂われる水戸天狗党田中愿蔵の書「水戸天狗党遺聞」を拝見出来たのです。一読驚嘆,膨大な時間と資料,それを上回る情熱と志で完成させた名文の数々は,自然と頬に涙がつたわってくるのです。玉石混合の地方の歴史家には,本当に素晴らしい天才的な情熱家が存在するのです。

 私達は決して忘れることはできないのです。あと四年もすれば明治維新の輝かしい光のなかで新たな命を抱いて活躍したであろう田中隊三百余人の命(みこと)と,生涯を費やして研究し,全国にその悪名を轟かせ,小溝山周辺に散っていった田中隊三百余人の雪冤をはかろうとした歴史家金沢春友氏の熱きこころを。



茨城・ふるさとのむかし話 藤田 稔
     (第5回)

五軒小 4年 鈴木 孝典

 みなさんは,いばらきの昔話を知っていますか。

 大じゃとひょうたん,カッパのおん返し,しんらんしょうにんとりゅう,きじも鳴かずば,ダイダラボウの足あと,へっぴりよめ,かた目の魚などたくさんの話があります。

 その中でも,ぼくが一番おもしろかったのは,へっぴりよめです。はたらき者のよめさんがへをする話で,ぼくは一人で笑ってしまいました。

 昔話を読んでいると,「それからどうなるの。」とどんどん先の方が知りたくなってきます。

 おもしろいのでみなさんも,ぜひ読んでください。



茨城・ふるさとのむかし話 藤田 稔
     (第5回)

渡里小 3年 平山 正治

 ぼくは,ふるさとむかし話をしょうかいします。

 ぼくは,ふるさとむかし話でできただいだらぼうの足あと,という話がよかったです。

 むかし,だいだらぼうという大男がいました。そのだいだらぼうがすんでいた村では,大きな山のせいで村の畑にひがあたらなくて,村の人がこまっているところに,あせをながしてだいだらぼうが,山をどかしているところが,いいなと思いました。ぜひこの本を読んでください。



茨城の伝説 石橋 勝治
     (第6回)

緑岡小 4年 真壁 凌平

 ぼくのすすめる本は「茨城の伝説」です。この本には,茨城県内で起こった伝説がたくさん書いてあります。わたしたちのそ先が,子どもから孫へ長い年代にわたって,語りついだものです。

 茨城は,筑波山や霞ヶ浦があります。水戸藩の二代藩主徳川光圀は「水戸の黄門さま」として親しまれ,いろいろな伝説をのこしています。おそろしい話や不思議な話もいくつかあります。「ゆうれいが育てた子」など,どきどきしました。「人柱おちゃら」の話はかわいそうな話です。また,町や村人の話の中には「額田の達才」のように,ユーモアとわらいのある伝説もあります。

 ぼくたちの住む町,水戸の伝説は「キツネと源助さん」「八幡太郎義家」「雷電ササラの始まり」「日本武尊」「親らん」「火事を好む山車」「雷をけり上げた観音さま」があり楽しく読みやすいものが多かったです。みなさんも読んでみてください。



茨城のれきし 松浦 浩
     (第6回)

緑岡小 4年 おのせ えり子

 きょう土の文化につくした人びと

 明治から大正にかけてきょう土には,いろいろな文化にすぐれた人がたくさんいました。芸術界では,日本画の横山大観,小川芋せん,洋画の中村つねなどがいます。

 横山大観は,一八六八年(明治元年)水戸市の三ノ丁に水戸藩士,酒井捨彦の長男として生まれた人であるがその後,一家が上京して,東京美術学校(現東京芸術大学)に入学しました。ここで,岡倉天心や橋本がほうらの教えをうけてめきめき才のうをのばしました。

 後に恩師天心は,学校をやめ明治三十六年に北茨城市の五ずら海岸に六角堂をたて,日本美術院をここにうつしたので門人の横山大観も木村武山(笠間市出身)らとともに移り住むようになりました。大観は,日本画の研究にうちこみ西洋画におとらぬすぐれた作品を数多く残しました。

 きょう土には多くのい人がいることが分かりました。



絵本長久保赤水 長久保 片雲
     (第6回)

川上 清

 高萩市在住の歴史研究家長久保片雲氏が野口雨情に続く2冊目の絵本を地理学者「長久保赤水」で著した。史実に忠実に,畏友矢竹毅氏の挿絵は作品を盛り上げて素晴らしい。

 今の高萩市赤浜に生まれた長久保赤水は両親を早く失ったが,継母の実母に変わらぬ愛情を一身に受け,幼少時から学問が好きだった。長じて鈴木玄淳先生に師事し,松岡七友との交流が一層学問の道を広げ,お嫁さんにも恵まれて日本一の学者を目指した。その大体は読書だったが,学問の成果として正確な日本地図の作成意欲を抱き,旅人からの情報収集により作図して行った。それに飽き足らず,松島や50才では,長崎,56才からは京都にも旅し,正確を期した。完成した地図は長く日本国内で使われた。60才には,水戸藩第6代藩主治保公から侍講として招かれ,お殿様に学問を教えた後83才で没した。

 郷土の生んだ偉人長久保赤水の絵本は小学校中学年には読みたい1冊である。



消えた風物詩 新井 洋三朗
     (第6回)

三の丸小 6年 神永 恵理子

 私がしょう介する本は,消えた風物詩です。この本はけっこう昔の本ですが,水戸の昭和十年ごろの三の丸学区について書かれています。この中には,美しかった千波湖,黄門まつり,三の丸小学校などのことがあって,私はその当時の三の丸学区についてよく知ることができました。三の丸小では総合学習で,弘道館について調べています。

 そして,通る人々にいろいろ聞いても,この人達本当に水戸に住んでいる人なのかという返事も多数ありました。

 そんな人々にもっと,自分の住んでいる「水戸」というものについて知ってもらいたいと思っています。

 そして,私の住んでいる水戸についてのすばらしさや,いい所など,たくさんの人々に知ってもらえたらいいです。そのためにはこの「消えた風物詩」を読むのが一番だと思います。



幕末維新の彦根藩 佐々木 克
     (第6回)

廣瀬 康

 彦根城博物館の「彦根藩資料調査研究委員会」の幕末政治史研究班員による論文9本を収録したもので,魅力あるテーマを資料をもとに具体的に明らかにしている。

 なかでも,井伊直弼横死以後の彦根藩の動向を扱ったものに興味をもった。

 直弼横死後,幕末から十万石削封され,尊攘派からは朝敵と非難されているなか,新藩主を守り立てて,藩難をどう救うかが藩士の眼目だった。このとき,彦根藩では開明的な家老と藩主の伯父が藩政の中心となり,軽輩層から成る至誠組(有志者集団)が下支えをする構図ができ,藩論が一つにまとまった。そして,積極的に情報網を張り巡らし,方々に手がかりをつくり,幕府も朝廷も両立する立場を執るが,鳥羽伏見戦争では,譜代筆頭の家柄にもかかわらず,旧幕軍への参加を拒否し,以後勤王藩として戊辰戦争を戦っていく。これは,他の親藩譜代藩への影響が大きかった。水戸藩と際立つ対応の仕方だった。



ふるさと茨城の自然 鈴木 昌友
     (第6回)

三の丸小 6年 米沢 佳裕

 この本は,茨城県の水戸やその他の市町村の植物や生き物をのせた自然の本です。

 この本には,植物,生き物,魚や鳥の説明を入れイラストも入っています。この本を見て今まで知らなかったキノコの種類や,植物の名前などを知ることができました。この他にも,魚やこん虫のこともいっぱい知りました。

 それに,この本は,それぞれのことについて,くわしくのっています。植物などは,何十種類もあって,さらにその植物がどんな場所に,はえているのかものっていました。

 そして,春,夏,秋,冬の動物や植物たちのことものっていました。春は,ちょうやタンポポなど,夏は,カブト虫やセミなどのこん虫,秋は,スズ虫やマツ虫などの鳴く虫,キノコなど,冬は,キツネやハクビシン,冬の渡り鳥がのっていました。

 ぼくは,この本を読んで,水戸の自然のことを知り,みんなにも読んでもらいたいです。



水戸の梅と弘道館 松崎 睦生
     (第6回)

見川中 2年 新山 和

 私がこの本に出会ったきっかけは,授業の総合的な学習で梅について調べたからです。

 梅のことに関して何もかも初めてだった私には,とても分かりやすい解説と写真がついていて,調べ学習には最適でした。梅の種類や開花期のことなども知り,偕楽園の観梅シーズンがより一層楽しみになりました。

 また,徳川光圀と水戸の梅とのつながりに深い関係があり,身近な地域への興味が増し,梅だけではなく歴史的な背景も調べてみたくなりました。

 水戸学や六名木,弘道館のなりたちや徳川斉昭の生い立ちなどもこの一冊で十分楽しめました。

 みなさんも,水戸の梅と弘道館,ぜひ一度読んでみて下さい。



水戸の心 関 孤円
     (第6回)

見川中 2年 赤坂 恵美

 私が紹介する本は水戸をテーマにした本です。私がこの本を読んだきっかけは,学校の授業の中にある総合学習で水戸の偕楽園について調べていたときです。先生にすすめられて読んでみたのですが,すごくたくさんのことが書かれていてびっくりしました。内容がたくさんあって,昔の水戸のことや,斉昭,慶喜,好文亭のことなど,これを読むだけで水戸のだいたいのことがわかってしまいそうでした。

 特に私が興味を持って読んだのが好文亭のところで,今まで知っていたことに加えて弘道館で勉強していた人の休養の場としていたことや,城に何かあったときのための立ち退き場としての役目をしていたことなど詳しく載っていてためになりました。

 この本をもっとよく読んで水戸についてもっと知りたいです。



水戸発 都市再生の実践的研究 菅原 信男
     (第7回)

根本 明徳

 自然が人を育むなら,都市が人を育むこともあるだろう。では自分を自由にするために,自分は都市を選択するのだろうか。

 自然の山河が動かぬように,自分が住んでいる環境も動かず,与えられたものとして無頓着でした。水と空気は,「タダ」ではないこと,さらに安全は,高価なものであると実感させられています。自分が住んでいる環境を,「街」,「職住近接」,「文化の享受」などのキーワードで紋きり型に問い掛けていただけでした。

 溢れる情報のなかで,いつの頃かキーワードは「住んでみたいところは?」,という言葉になっていきました。

 さて,こんな脈絡のなかで,標題の本と出会うことになりました。水戸を,創り手と受け手の結果としてばかりでなく,文化の総合的な帰結として表現されていました。都市という現象をオモシロク感じさせてくれました。漠然としたものから「水戸は?」へと変化させてくれました。


下斗米将真傳 藤田 東湖    (第9回) 

矢野倉 隆      

 いわて銀河鉄道で金田一温泉駅に降りる。春三月,残雪の多い景色は本州一寒い。座敷わら氏が現れることを期待しながら,約7kmを徒歩する。残雪はひざまで足を消す。相馬大作の演武場跡は緩やかな山の斜面の中頃に現われる。周囲を見晴らすと厳しい寒さが体を凛とさせる。碑文は水戸の東湖先生が素晴しいドキュメンタリーを記してくれたことを感謝していたのです。