第9回私の本ものがたり(一般)
グリーンライン 赤川 次郎
佐藤 光子
江戸時代,アリューシャン列島に漂着した大黒屋光太夫ら一行が,ロシア各地を転々とした後,約十年後に帰国を果たした史実に基づく小説。アリューシャン,オホーツク,シベリアの極寒生活の中で見聞した生活状況とともに,言葉や習慣を身につけていった様子が克明につづられる。ロシアを西へ横断し,首都ペテルスブルグで,女帝エカテリーナ2世に謁見し,九年間で十二名が死亡した状況を語り,故郷への帰還をひたすら訴えた。帝は光太夫の話に聞き入り,後日ロシア軍艦に乗せられての帰国に結びつく。しかし,幕府は彼らの存在を世に知らせることなく,死去するまで幽閉状態に置いた。
日本が鎖国していた間に,ロシアはシベリア進出と南方諸国との交流を図り,大陸横断道路を完成させ,中国,インド,シベリアとヨーロッパを結びつける交易が大規模に開始されていた。その一大拠点であったイルクーツクに滞在した際,光太夫は,盛んな交易と豊富な富を持つ国々の存在を祖国の日本人が何一つ知らず太平に暮らしていることを思い起こしたものと思う。物語全体を通じて,何としても帰国したいという執念が描かれているのはもちろんだが,博物学者ラックスマンとの交友を通じて,もともと素質のあった語学や文化観察眼を深めていく光太夫自身の変化も興味深い。これまでの自分の歴史知識では,19世紀以前の北アジアは,ほとんど「暗黒」状態だったが,中世から近代のアジア諸国史についてじっくり読んでみたいと思わせる一書である。
下斗米将真傳 藤田東湖
矢野倉 隆
いわて銀河鉄道で金田一温泉駅に降りる。春三月,残雪の多い景色は本州一寒い。座敷わら氏が現れることを期待しながら,約7kmを徒歩する。残雪はひざまで足を消す。相馬大作の演武場跡は緩やかな山の斜面の中頃に現われる。
周囲を見晴らすと厳しい寒さが体を凛とさせる。碑文は水戸の東湖先生が素晴しいドキュメンタリーを記してくれたことを感謝していたのです。
八十歳をすぎてわかってきた人生の大切なこと 吉沢 久子・清川 妙
三橋 昭子
終戦後中国大陸に残された日本人孤児は親切な中国人夫婦に引き取られ,陸一心として育つ。文化大革命の中で迫害され労働改造所に送られるが,育てた父の尽力で社会復帰を果たし,高炉技術者として徐々に実力を認められる。日中協力事業の高炉建設プロジェクトに関わる中,日本側技術陣を率いる実父との再会を果たす。実父は日本への帰国を願うが,葛藤の末に一心が口にした言葉は・・・。
戦後の逃避行で失った幼少時の記憶を日本の事物に触れる中で徐々に取り戻す。生き別れた妹を極貧の農家で見つけ出すも重病に苛まれておりまもなく息を引き取ってしまう。一心の日本での行動を執拗なまでに監視し上層部に讒言する中国人同僚の内面に刻まれた原体験など,圧巻のシーンが次から次へと展開する。
労働改造所で知り合った滞日経験のある華僑のことば「もし君の両親が日本人なら母国語を知らないことは不幸であり恥だ」をきっかけに,羊の放牧作業中に地面をノート代わりに一心が日本語を教わる場面は特に印象に残った。実父との再会実現につながったからでもあるが,それ以上に民族の証,文化の拠り所が言語であることを物語っているからである。NHKが作成した長時間のドラマでは,日中の役者陣が迫真の演技を繰り広げており,本書と共に鑑賞することをお薦めしたい。
庄野 彰
安定した組織に勤める分別盛りの人たちが陥った「失敗」の数々が綴られています。根っからの悪人も,犯罪常習者も登場しません。主人公は,平凡もしくは少し仕事熱心なサラリーマン。彼らが,贈収賄,交通事故,借金,横領,不倫などがもとで,実刑や高額賠償金を科せられる事件の主人公になってしまった事例が,裁判記録をもとにしながらも読みやすい文体で語られます。きっかけは,「あるよな〜,こういうこと」とうなずいてしまうようなことばかりですが,その後は各人各様の展開を見せます。意外ではありますが,決して特殊ではありません。最後は,長年積み上げた地位・財産・家庭・人間関係をすべて失ってしまいます。目的や動機が判然としないサラリーマン犯罪が増え始めたのは1970年代ですが,30年後の今,社会の混迷と闇はますます深みを増しているように思えます。折に触れて読み返す妙に印象の強い本です。