『山海庶品』と『海河魚属写真』について

『山海庶品』は植物、動物、金石を写し、その性質、効用を詳述したもので、天保元年に斉昭の命により江戸で編纂を開始し、天保七年三月には中陵が水戸勤めとなり、弘道館に医学館が開設されてからは、事業をそこに移して専門の医家が継続し、遺漏を増補して数百巻に至ったとされています。一説には千巻とも言われています。しかし、この『山海庶品』は明治元年10月兵火にあって、弘道館と共にことごとく焼失したと考えられていました。それが、昭和になって、中陵の孫にあたる佐藤庄三郎氏宅に残された佐藤家の蔵書の中から一部発見されたものです。佐藤庄三郎氏のいとこの子、山川菊栄の『覚書 幕末の水戸藩』によれば中陵がたまたま、自宅で読むために持ち帰っていたものと思われるとのことです。現在、佐藤家の蔵書1,118点は、水戸市立中央図書館で所蔵し、市博物館に寄託して保存しているものです。

『海河魚属写真』は『山海庶品』とともに、佐藤家蔵書に所蔵されているもので、各種の海や川の生き物を紹介しています。写真とは写生画の意味です。今で言えば、「図鑑」ということになります。中陵はその著『中陵漫録』のなかで写生画について次のように述べています。

「予が幼より好で花鳥虫魚を写に始より軽色を以て其真を肖す。画工是れを見て輪郭なきは写法にあらずと云て多く譏る。弱冠の時、京都にて高名の画師を得て其法を授けんとす。其師云く凡写真は別に法なし。只其実品に迫て真に別なきを法とす。只動物は生体あるを難しとす。是れも其真を写せば自然と生気あり、是の故に写生と云ふ。是れにて心を画して多くを写せば真に迫るの外求る処なしと、此心を得て是れより多く写す」

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